法話

『落ち葉の思い出』 ~心の掃除~

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◆はじめに

11月になると梅や菩提樹の葉があっという間に散ってゆきます。
掃いても掃いても、すぐにゴミ袋がいっぱいになります。

禅寺では、掃除は大切な修行の一つです。
「掃けば散り 払えばまたも塵つもる 人の心も庭の落ち葉も」と古歌にもあります。
掃除によって自分の心も掃き浄めるのです。


◆「南禅寺の落ち葉」

私が南禅寺で修行している時にこんな事がありました。
落ち葉の頃、あまりの広さと落ち葉の量に辟易していると、
南禅寺の和尚様が「雲水さん(修行僧のこと)、人の通り道だけでいい。
モミジを見に来られる方は、木々の紅葉も落ち葉の紅葉も合わせての景色を楽しみにしておられるから」


その言葉を聞いてハッと顔を上げると、目の前には赤や黄色の落ち葉がじゅうたんのように広がっていました。


◆「落ち葉の役割」

それまでは、落ち葉はゴミだ不要だと考えていた私にとって、目からウロコの出来事でした。

落ち葉には水分を保ち、大地に栄養を与えるなど大きな役割があると知ったのはそれから後のことですが、
物事の一面だけを見てはいけないと気付かせていただきました。


◆おわりに

仏教に「浄穢不二」という教えがあります。
物には本来きれいだの汚いだのという区別がありません。
あるとすれば、それは私たちの心の中にあるのです。

木々に生える紅葉をきれいと思い、落ち葉を汚いと思う自分の心を、掃き浄めなくてはと思うこの頃です。